かまめブログ

● 事務事務事務事務事務事務...

事務事務事務の日

なにごとも事務にはじまり 事務に終わる

派手なしごとなんてそうはない

表面にあがって

光が当たるのは物事のほんの一部分

その下には膨大な量の下支えのしごと

そうしてものごとはまわっていく まわっている

下を支えている膨大なものをちゃんと感じて ちゃんと見て

そこに敬意を払えるようにありたい とおもう

先ほど、おっちゃんブログを更新してくれているのぼるさんから連絡があって

パソコンの調子が悪いそう

明日、PCの確認をしますがおっちゃんブログの更新しばしおまちください

● やってみてはじめてわかる人のきもち

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こどもにもどって絵を描こう会

前日から明日人が来るかなあ とそわそわしていた 企画者のおじさんですが

たまたま居合わせた人と絵を描くことができて 裏のおうちのおこさんもいっしょになったり

とてもたのしい会でした

おじさんが、今日はスポイトで絵の具をすってたらすというのはどうだろう… と

何日か前に提案してくれ 道具も全部そろえてきてくれて それをしてみました

いつもと違う道具をつかうのはたのしくて わたしはせっせと看板づくり

途中よっぱらった人がはいってきて 傍若無人な態度で好き勝手話しをしていく

がんばって企画したおじさんは

ふつうこんなことないけどな、腹立ったわ~ こっちはまじめにやっとんのに… という

しかし、ふだんはこのおじさんも

よっぱらって、こちらがまじめにやっている会の中で勝手なことばかりしゃべったりしている

やってみてはじめてわかる人のきもち

当たり前だけれど そういうものだなあ

わたしも自分を振り返って反省したりしてみる

 

IMG_6230.JPGのサムネール画像   IMG_6225.JPGのサムネール画像

● 手仕事

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先日の山王こどもセンターでのワークでつくった作品

特製のがくぶちをのぼるさんがつくってくれました

ひとつ、ひとつ 布の大きさはランダムでバラバラ でも額縁はぴったりのかたち

ひとつ、ひとつ測ってそれに合わせてつくってくれた

表現は表現されただけでは 作品 にはならない

作品化するプロセスをここではおじさんたちが

大工 という自分のしごとの技術をもって 自主的に育ててくれることがよくある

ほんとうにうれしく ありがたいことだなあ とおもう

夜は雨降る中

かなよさん、のぼるさんとともにremoにイベントを見に行く

会場大きなスクリーンに2つ映し出されていた映像は 「しごとをする手」

そして低音で鳴り響く弦楽器の音

大阪北加賀谷工業地帯でのしごとをする手の映像 その他の地域でのしごとをする手の映像

しごとをする手は見ていてまったく飽きない

手と道具が動く

切り、削り、彫り、塗り、掘り、削ぎ、曲げる…

それら手と道具がつくりだす動きは本当に美しくて

変だけれど アートだ と思った

アートとか芸術とか伝統文化とか そういわれて囲いこまれているもの

その外の日常の しごとの中に こんなに美しい動きがあふれている

そしてその美しい しごとをする手 がだんだんと消えていっている

これを撮りたい と純粋におもったフィルさんのきもちがよくわかる

のぼるさんの手仕事ももちろんアートだ

● 春の陽気 あしたは雨だそう

きょうはもと南方人権文化センターへ今度のイベントの企画の打ち合わせへ

OCA!シンポジウムでばたたばたの中

舞台を支えていただいたぶかんの古谷さんと2人新大阪から春の陽気の中を歩く

シンポジウムのときは本当に助けていただいて、丸2日ちかくずっといっしょにしごとをしていたので

なんだか2回目のしごとと思えない

ほんとうに春の陽気で 歩くと汗だく

ココルームに帰るとおじさんたちがわらわらメニュー板をつくっていた

アート?なメニュー板

ココルームにはきょうはいろいろなお客さんが来たようで

この時間にも道のお客さんにやかっているお客さんがいる

人が怖がる顔や嫌がる顔、怒った顔を見たくて わざとどなったり、やかったりしている人がいる

周りにとっても その人にとっても しんどいことだとおもう

ほんとうにそんな関わり方がしたいんだろうか 別の関わり方があるはずなのだけれど

ちかごろ(大きな)メディアの対応やあり方について、考えさせられることがあり

メディアというのは媒介とか仲介とか、間に立つもののことを言うということを先日教わり

間にたつもの というのは実は一番大変かつ重要なんだろうなあ とおもう

間にたつものの立ち方によってものごとって大きく変わる そのとり結びかたをいかに丁寧にするか

いま一般にいわれているメディアって 固定化されていて 

多くのメディアが それ自体、自分でさまざまに考えたり

状況に応じて判断したりしながら関係をとり結んでいくものではないなあ とおもう

ただシステムだけをもって じつは そこでされているのは仲介や媒介ではなく支配だったり

誘導だったり、自己や力のある少数、もしくは声をもつ多数の満足のためだったりするよなあ

とおもったりする ああ

おっちゃんニュースの天気予報が あすは一日雨だと告げていた

● 春の陽気 あしたは雨だそう

きょうはもと南方人権文化センターへ今度のイベントの企画の打ち合わせへ

OCA!シンポジウムでばたたばたの中

舞台を支えていただいたぶかんの古谷さんと2人新大阪から春の陽気の中を歩く

シンポジウムのときは本当に助けていただいて、丸2日ちかくずっといっしょにしごとをしていたので

なんだか2回目のしごとと思えない

ほんとうに春の陽気で 歩くと汗だく

ココルームに帰るとおじさんたちがわらわらメニュー板をつくっていた

アート?なメニュー板

ココルームにはきょうはいろいろなお客さんが来たようで

この時間にも道のお客さんにやかっているお客さんがいる

人が怖がる顔や嫌がる顔、怒った顔を見たくて わざとどなったり、やかったりしている人がいる

周りにとっても その人にとっても しんどいことだとおもう

ほんとうにそんな関わり方がしたいんだろうか 別の関わり方があるはずなのだけれど

ちかごろ(大きな)メディアの対応やあり方について、考えさせられることがあり

メディアというのは媒介とか仲介とか、間に立つもののことを言うということを先日教わり

間にたつもの というのは実は一番大変かつ重要なんだろうなあ とおもう

間にたつものの立ち方によってものごとって大きく変わる そのとり結びかたをいかに丁寧にするか

いま一般にいわれているメディアって 固定化されていて 

多くのメディアが それ自体、自分でさまざまに考えたり

状況に応じて判断したりしながら関係をとり結んでいくものではないなあ とおもう

ただシステムだけをもって じつは そこでされているのは仲介や媒介ではなく支配だったり

誘導だったり、自己や力のある少数、もしくは声をもつ多数の満足のためだったりするよなあ

とおもったりする ああ

おっちゃんニュースの天気予報が あすは一日雨だと告げていた

● やさしい声を夜中聞いていた日

きのうは深夜というか明け方?まで残って文字おこし

OCA!の報告書のため

文字を起こして文章をつくるなんて、まず集中してレコーダーの音が聞こえるしずかなところでないとできないので

いろいろなことが全部終わってから始めると

スタートが深夜になってしまって

意識がもうろうとする中 栗原先生のやさしい声に耳を傾ける

そこでは本当に大切なことが、たくさんはなされていて

いろいろななぞが紐とかれていく

新しい市民の台頭のお話し、マジョリティによるマイノリティの排除のお話し

政策のとこ、異交通のこと、野生知のこと、溜めと目地、ソムリエ論…

自分の中の他者を動かすこと、エッヂという場所にこそ希望があるということ

去年の8月、夏の暑い日に聞いたお話し

そのときとはまた感じ方が違っていて

本当にさまざまなことが腑に落ちる

そしてさいごにかなよさんが感想として述べていた

「ともかく時間がかかるということですね」 ということばもなんだか腑に落ちてしまう

本当にともかく時間がかかりそう そして地道な活動がいるんだなあ とおもう

大学時代の恩師が深夜までしごとをしているわたしを心配し

かなりの分量の文章の整理を東京から手伝ってくれる

きょうはカマメに帰ったのが遅かったのでちょこっとだけシャッターをあけてともかくPCに向かう

ちょこっとだけ開いたドアから「まいちゃんじゃあね~」と言ってココルームのお客さんが手をふってくれる

なにげないことが支えになるなあ

 

栗原先生の「自治とアート~自分の中の他者を動かす~」については報告書にて

それから完成し、許可がとれればこのブログでも紹介したいとおもいます

● ひなまつりムード

息もたえだえの毎日

バタバタしすぎて、どさくさの中自分は報告書つくったことがあると自分で錯覚していたけれど

実は一度もつくったことがない

容量をえないし、他にも同時多発的に抱えているしごとが山のようで どうしようもない

どうしていいかもわからない

バタバタで何もできないまま、きのうも深夜までしごと

きょうは昼から文字お越しに没頭し

夕方

今度レジデンスに来てくれる予定のアーティストさんにまち案内をした

まちを見て帰ってくる途中に 他人事じゃないな とおもいます

と話してくれた

すこしはなすと感覚や考えていることが似ているように感じられ うれしくなる

そのあとは近くのやきにくやさんに連れて行ってくれるという人にやきにくをたべさせてもらって

さっと帰ってくる

そのあとはカマメで俳句会

きもちが焦りまくっているから まったくいいことばが思い浮かばず

だめだなあ とおもう

それでもやはり、ことばをつむぐために、自分がぐっときた春の光景や

春の訪れをかんじるにおいをおもいうかべるときもちが穏やかになるもので

いいなあ とおもう

その後、ココルームの座敷下から、ひなまつりセットがわらわら出てきて

それをあっこさんがつくってくれた、ダンボール雛段の上に飾って

カマメは一気にひなまつりムード

外からみたらテレビとちゃぶ台と3段雛段に5人囃子に笛太鼓におひなさま

たのしいふんいきになりました

● その傷は自分のものであったかもしれない

きょうはかなよさんも途中でぬけ、カマメもココルームも開けたまま一人で走り回る

こういうときにかぎってお店にお客さんが来る来る

打ち合わせもまともにできないまま

ともかくお店をアサダさんにおねがいして、これ以上お店にお客さんが来ないようにココルームに張り紙をして鍵もしめて

今度レジデンスに来る予定の方が、きょうWSの成果を発表する機会があるというので

どんなことをされる方なのか、事前に知っておきたいと思って、急いで電車にのる

急いだけれど結局その人の出番は終わっていて、でも知っている人がたくさん発表者にいて 後半を見てゆく

そこで発表されたたくさんのパフォーマンスの中で

自分を傷つけるというパフォーマンスをした人がいた

目の前で

そこでなにがなされたか 書くこともできない

その人は「リストカットをする人のきもちがわからないからやってみた」と言った

リストカット というのはさまざまな処理しきれないものが表面に現れたもののひとつ ではないかとおもい

それが別のかたちで表面にあらわれることもあるはずで だから

大切なのは表面にあらわれた行為の形式をただなぞることではなく、その根本にあるものと向き合う行為なのだとおもう

向き合い関わり、そこからなにかを立ち上げることがアートにできる行為なのだとおもう

即物的表面的な行為を表現する意外の別のアプローチがもっとあるとおもう

 

その自分を傷つける行為を わたしは見ることなんてできなくてずっと目を伏せていた

目をとじて なぜか、西成のまちを思い出した

なぜか なみだがとじた目の中にたまって

 

同時になぜこんなにもたやすく自分を傷つけるのか なんともいえないいやな気分になる

もしかしたら、傷つけないといられないなにかが、その人の中にもあったのだろうか

会場には何度もリストカットを経験している方もいたが

やはり目を伏せていた

 

以前、石内都さんという写真家の方の写真もわたしは目をそむけたことがある

写真は人のからだに残る治った傷跡の写真たち

痛々しく生々しいしれらをみているとからだ中が痛くうずくようなかんじで スライドショーで写真が何枚も流れていく途中見ていられなくなった

でもそのときには、目をそらしてはいけない と感じ 必死にその画面と向き合った

今日感じた感覚とはまったく別の感覚

それはその後、石内さんから話された「その傷は他者のものでありしかし、自分のものであったかもしれない」 ということばで腑に落ちた

傷は自分と切り離されたまったく別の世界のものでなく自分の延長にあり、それは他者がもちろん自分の延長にある存在であるとういことであり

傷はその人の生きた歴史であり、目をそむけたくなったり隠したりしていることが多いものだけれど、それはまぎれもない生の証で

その他者の中に自分を見ることを引き受けて撮られた写真だった

自己と他者が切り離された中から立ち上がる、自己の表現が 他者 に与えるものって

やはりないんじゃないか とおもう そもそも他者性がないのだから

もんもんと なんだかいやな想いをひきずって ココルームへ帰り

きょうこんなことがあった としゃべって そして、あっこさんつくってくれたやさいたっぷりのラーメンをたべ 落ち着く

そしてまたしごと

ココルームがあいていて たまったものを少しでもはきだせて、おいしいごはんで落ちつけて

ああ よかった ココルーム開いていてよかった とお客さんのようにおもう

● 山王こどもセンターワークショップ

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きのうの山王こどもセンターでのワークショップの様子

OCA!事業1年目、いわはしさんのさいごのワーク 布をはって未来をつくりました

この1年を通してワークに参加し毎回振り返りと報告をしてきて、いろいろなことを考え経験できたことは

ほんとうに貴重な時間だったとおもいます

報告書にて報告させていただきます

しかし、ぜんぜん原稿がかけていない… がんばります

次回、エメさんのワークショップは2月28日(日) 参加したいかたは気軽にご連絡ください

 

● 口だけでない人 ここにも

きのうは手芸部

ずっとやりたかった襦袢に半襟をつける

かなよさんにやり方をおしえてもらいせっせとぬいぬいし あっという間に大きなまちがいをする

やっぱりだめだなあ とおもいながらもなんとか完成!

先月のOCA!シンポジウムの会場ワークのときにremoの甲斐さんが慣れた手つきで刺繍をしていたことを思い出す

消費社会に対してとか大量生産大量廃棄のことについてとか、簡単に語れるけれど

実際には言っていることとやっていることがちがっている 人は多く わたしも人のことは言えないのですが

そういう中で 甲斐さんは本物だなあ と思ったことを思い出す

きものもそういう消費社会に対しての抵抗というか そういう部分で着ているところもあり

時代の変化の中で、着られなくなり 捨てられるしかなくなったものがたくさんたくさんある中で

流行を追ってひたすら新しいものを買っては捨てていたかつての自分を ひどいなあ とおもう

むかしから古着はすきだったけれど、どこの古着よりみきものが安くてものが良いものが多く(そもそも着る人がいなくなっているから)、着心地がよくてながもちする!ということがわかった

きものは何十年前のものでもデザインがすたらないし、何十年でも着ることができるそう

洋服はなかなかそれがむずかしいなあ とおもう

 

手芸部も終盤にさしかかったところで、この日初の単独ワンマンライブをおこなったかま凹バンドのおじさんメンバーが帰ってくる

みんな心配していたかま凹バンド単独ライブ なんせ1時間半も時間がある

お客さんは入るだろうか、ちゃんと演奏できるだろうか、そもそもみんなちゃんと集合してくれるだろうか…

わたしもはじめは心配だったけれど、かれこれ半年かま凹バンドの傍らにいたので まあだいじょうぶだろう という気になった

帰ってきたおじさんたちから 「立ち見が出た!」とうれしい報告

しかし、気分が高揚したおじさんたち

カマメに入ってくるとせきをきったように ああだったーこうだったー と一斉に報告会がはじまる

しかもみんな声がおおきい

手芸部どころのはなしでなくなる

ひと通りの報告を終え わたしの手芸作品をみて こりゃあかんで… とおじさん

ここはもっとこうせな… ひとりで生きてきた器用なおじさんは、なんでもできる 洗濯、そうじ、料理、つくろい…

釜ヶ崎の中には古着屋さんがたくさんあり、300円で良いものが買える

きれいなことばでエコとか言っている世界がうさんくさいものであることは、自明なんだけれど

消費に回収されるブランドとしてのエコとはかけ離れた世界で、ほんとうのエコロジーが地に足をつけている

さまざまな複雑な背景はあるけれど やはりこのまちは簡単に消費に回収されない したたかで力強い部分をもっているとおもう

口だけでない人がここにもいた と思う

***

読売新聞さんが先日釜凹バンドの取材に来、その記事がのりました

長いインタビューの間カマメでしごとができず 困ったのですが その分よい記事になったのではとおもいます

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20100217-OYT8T00091.htm 

記事にある 釜のブルースの最後の歌詞 正確には

♪あしたになったらな おれもなにかしようとおもうねん なんでもええんや 誰かよろこんでくれる

そんなこと おれにも できるんやないかとな なんでかしらんけどそう思うねん♪  です

この歌詞がわたしは好きで 夏にいっしょにステージにあがって以来まともに歌っていないのですがおぼえていました

 

次回かま凹バンドは 3月20日(土) もと南方人権文化センターでのイベント 「いまここで生きていく 力と工夫とつながりと」 です

http://www.kama-media.org/japanese/blog/2010/03/32015301600.html

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