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釜ヶ崎芸術大学【地理】 第2回

【科目】地理 第2回
【講師】水内俊雄
【日時】2月10日(月)14:00〜16:00
【場所】カマン!メディアセンター集合
【参加者】13名+スタッフ3名
【概要】約200年前の地図を片手にまち歩き。釜ヶ崎と呼ばれるこの地域の錯綜した歴史の片鱗にふれる。
【メモ/感想】地図4枚。1804年頃。1910年。1928年。1953年。ココルームをAとしてGまで7つのポイントをすべての地図にマーキング。ココルームを出て北へ、大通りを渡り道楽亭の脇道は元々一心寺につづく道。じゃんじゃん横町へ通じるガードの上はかつては6本の鉄道軌線。交番前を左折してスパワールド、フェスティバルゲート跡地はもと南海電車車庫。野戦病院。ロシア人捕虜収容所。その先は阪堺電車車庫跡地。向いの三角形の大きな空き地は中山太陽堂の石鹸工場。天王寺公園からこの辺りは市の開発が錯綜している。浪速区の日払いアパートはバラック立ち退き料が原資で釜ヶ崎のドヤとは経緯が違う。南下して再度高架下には明治25年製のレンガ塀のあと。その先の線路沿いの駐車場周辺が釜ヶ崎の木賃宿の発祥地。明治37年(?)、ここから大阪市外府下。大通りを渡り右手が元刑場。むかいの斜めの小道は鳶田墓へ。先へ進むと左手は元マッチ工場、電光社址。さらに左にすすみ高速高架下をくぐり天王寺村。上町台地を正面に商店街を右折する。この通りは用水路跡にそって両脇に。その先は飛田新地。今でものこる遊郭の痕跡。赤線青線。大正6年に誘致されてやって来た。

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