70年代の釜ヶ崎に思いをはせる

久し振りにカマメが開いた。どうしても参加したくて来た。寺島珠雄氏のことは名前を聞いたぐらいだった、俺が釜に来たごろの話題なのでなつかしくもあり、同年代の労働」者と語りたかった。血液バンクのことは当時の仲間しか知らないだろう、俺も、1回だけ行った自衛隊の同期の奴、おれに釜ヶ崎をおしえてくれた奴、朝センターから現金の車に乗り京都に行った。奴がギャンブルが好きで近くのバンクに二人で行った、400cc抜いて
いいとこだけ取りあとは、またおれのからだに戻したベッドから起きてお金1400円もらい、ばななを貰った記憶がある
1974ねん頃だったおれも若かったからしんどくはなかったココまで落ちたかと自分を責めたもんだ。これ以降は行かなかった。自分の体まで売ってまでの行為はしたくなかった、親に申し訳ない
恥ずかしかった、このことは田舎の兄貴にもいまだ言ってません。過去であるけど兄貴がいやな気持ちになるのがわかるから、今日俺が話したのはカマメに来た若者に、好きでやってたのではないこと、釜の仲間も、立ち直ろうと頑張っているんだ、それが出来ない自分への腹だたしさ、べつに釜がとくべつではなく逆に釜が人間の本音が語れる唯一のところだとおれは思っている、要領は悪い、くちは汚いけど困った仲間がいたらほっとけない、金では買えない気持ちがある。これが一番大事釜の仲間は好きだ、おれも釜で人生の大半を送ったかまに来てよかったと感じてる、むかしは釜から早く出ることばかり考えてた世間てゆう魔物に取り付かれていたから釜のこと色めがねでみてほしくない、口下手だけどあったかい奴が多い酒癖の悪い奴もたしかに多い飲まない時はいい奴何だけどじぶんのことも含めて変える、まじめだ







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