通りかかるみんながのぞいていく。カメラをまわす人も。音に引かれて子どもたちも集まった。暑さの際立つ昼下がりに、釜ヶ崎夏まつりで出演するバンドの公開練習が行われた。スタッフもメンバーとして参加。居合わせた人も楽器を手にかまのブルースを奏でる。おっちゃんも、子どもといっしょに太鼓を叩いて和んでいた。
そのおっちゃんだが、生活保護を受けながら、福祉マンションで暮らしている。運動がてら通りかかったかまめ!で、にぎやかな音楽と力道山の字を目にし、立ち止まってくれた。福祉マンションの環境が悪いことや、体もガタがきていることなど、話してくれた。
“福祉マンションとは名ばかりで、3畳一間のドヤと同じ。ゴキブリもでるし、引越したいのだけど”と言う。病院が紹介してくればところで、先生を裏切るわけにはいかないというのだ。このような話は紙芝居劇むすびのメンバーからも来たことがある。一番しんどいときに衣(医)食住で支援してくれた人は先生であり、義理堅い存在のようである。
高校のとき、集団就職で愛媛から大阪に出てきて、紡績工場や土方をやり、いよいよ仕事がなってくると野宿もしたそうだ。2年前に今のマンションで生活保護を受ける。日々を送っている。2年前に取ったのだろう写真と比べると、まるで別人のように今はやせている。話ているときは、とても楽しそうで、この日は3回も来てくれた。
そういえば、おっちゃんたちの不思議な行動に、しばしば身分証明となるものを見せてくれる。求めていないのだが、住所や連絡先を教えてくれる。心配を払うかのように、ポケットから手帳などを引っ張り出して前に突き出す。自分を表現するすべが、身分証明書なのか。
夜、通りかかった中高年の人が釜ヶ崎の古写真に目をとめる。奈良で行われている高校総体に来ており、宿泊先として釜のドヤを選んで、ここを通りかかった。突然、ひそひそっと“昔はとてもじゃないけど恐くて来られなかったよ。得体の知れない人がいるようで”と釜ヶ崎のことを話してくれる。この言葉もよく耳にする。今は昔ほどしょんべん臭くないし、歩けないほどの恐さもない。
変わりつつある釜ヶ崎を、通りかかるいろんな人たちが教えてくれる。



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